カンナは1歳10ヶ月になりました。
保育園を退園したのは9ヶ月だったかな?

退園した時の記事を見てたら自分でも、なんだか混乱して、戸惑っていたのがよくわかる。笑

 

カンナが生まれて、子育ての大変さを思い知り、とりあえず保育園の申し込みをして、運よく入れたものの、「フルで預けるのは可哀想」という気持ちを捨てきれず、でも1日3時間くらいは自分の時間が欲しいと思い、そんな感じで最短時間で保育園を続けてみたものの、保育参観での柑菜の泣きぶりに驚いてその日から保育園を退園したのでした。

 

カンナに「これからは一緒に楽しく過ごそうね!」といいながらも、
たった3ヶ月、保育園にお世話になっただけで、もうすでに、赤ちゃんと1日中2人っきりになるのが怖かった。

 

でもあれから1年経った今、保育園を辞めて本当に良かったと思う。
夫は夜遅くて、朝の30分しか手伝えないし、両親も遠く、本当にほとんど2人きりで過ごしているので、自分の時間どころか家事すらまともにやらせてもらえないけど、柑菜の成長をしっかり見つめられるし、毎日一緒に居てあげられる事を嬉しく、誇りにも思うのです。

 

子供を保育園に入れた友人と話すと、「子供と一日中、毎日居るなんて、とても考えられない(無理)」という。
先日帰省した時、私の母親もそう言った。
私も、保育園に預けて働く日常を続けていたら、同じように思ったでしょう。

 

友人は小学生になったら預かり時間が保育園よりも短くなってしまう、と嘆く。

 

今の私はこう思う。「待って。そんなに我が子を遠ざけてしまわないで…。子供をできるだけ長く預けようと思わないで…。」
もちろん、友人にこの気持ちを声に出して言うことは絶対にないけれど。それぞれ家庭の事情だってある。仕事だって内容もスタンスもそれぞれだ。

 

私は幼少期にお母さんと一緒に居る事はすごく大切な事だと思う。親が穏やかである事が前提だけど。
私は2ヶ月から無認可に預けられ、以降ずっと保育園、小学校の後は学童保育、いわゆる鍵っ子でした。2番目(次女)だったせいもあるし、親も良く「うちは放任主義」と言っていて、実際、放任で育ったと自分でも思う。
そして、子供の頃は気がつかなかったけれど、私は愛情に飢えていた。本当は親の愛情を沢山受けていたのかもしれないけれど、愛情を感じるセンサーが育たなかったのかも知れない。たぶん、一緒にいる時間があまりにも少なすぎたのだと思う。
そして今の私は、対人関係において自己肯定感がとても薄い。

 

教養・常識の無さ、やる気のなさ、周囲への気配りができない(空気が読めない)、フラッシュバック、キレやすい等々、色々問題を抱えていた(る?)ものの、出会った夫がとても良い人で、結婚してから大分いろんな事が改善した。でも、自己肯定感だけはなかなかUPしない。

 

私が子供を育てる事になって強く思ったのは、「私の母親がやった様にはしないようにしよう。」という事でした。
(お母さん、ごめんね。お母さんの事は大好きよ。)
子供に対して怒りをぶつける事は絶対にしないと決めた。
そのために、自分がイラッとした時はイライラの原因をその都度見極めて、穏やかに過ごせるように工夫をした。
子供が私を必要としている間はできるだけ一緒にいて、私の知る限りの人生で大事だと思う事を教えてあげたいと思った。

 

とはいえ子供を産んで、母親に感謝の念を感じた事がひとつあります。以前モンテの「愛ちゃん先生」がビデオで「虐待の連鎖を断ち切るのは難しい」というような事を言っているのを聞いたとき、「あ、私は虐待されていなかったんだ。お母さんは、私がカンナを可愛いと思うのと同じ気持ちで私に接してくれていたんだ。」と母の愛情が私の中にちゃんとある事がわかった時、とても暖かく嬉しい気持ちがしました。

 

今、夫に「あなたは好きな時に寝れていいわね」などとイヤミ(←私も母親と似ている)を言ったりはするけれど、なんとか毎日平和に、楽しく暮らしている。
カンナは、よくお手伝いをしてくれる、とても優しく、しっかりした子に育っているという実感がある。

 

食べない、低体重・低身長と、不安も悩みもあるけれど、子供が幼稚園に入った後はずっと毎日どこかに通う生活になるのだから、2歳半(予定してる園の入園時期)までの私とカンナの短い夏休みを毎日大切に楽しく楽しく過ごしたいと、心から思います。